そこはかとなき散文置き場

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書き連ねたいことを、書き連ねられるだけ。

「鶺鴒鳴」

気が付けば夏を追い抜いてしまっていました。さよならを言う暇もありませんでした。

今年はサマーコンプレックスも比較的感じることはなく、そこそこの夏は過ごせたのではないかと自省しています。

 

そして、季節は秋へと移ろいます。

秋といえば、なんでしょう、特に思い入れがないのであまり語ることが出来ません。

というのも、僕は冬が好きで仕方がないので。。

冬の空気は清潔な感じがしますし、寂寥感のある風景も友だちができたみたいで僕には楽しく見えてきます。閑話休題

今日の話

さて、長らく更新されていなかった当ブログの今回のテーマは、「高校在学時の妊娠」についてです。

 

先日、「妊娠したので高校中退した女生徒は将来が約束されていない、制度とかつくるべき」「中退じゃなくても休学とかでいいんじゃないの」みたいなのを見かけました。いや、内容は定かじゃあないのですが、概ねこんな感じだったかなあと思います。

 

僕はこれに対して否定的な立場の意見を持っています。

 

理由として、まず、高校は「学ぶための場」であって、「子どもを作るための場」ではないという風に認識しています(少なくとも僕は)。

これはどんな形態の学校だろうが同じであると思っています。

大学へ進学するための勉強、職を得るための勉強、社会に出るための勉強。そういう社会へ出る準備のための場が高校なのではないでしょうか。

もちろん、対人関係を上手に構築するということも高校を通して学んでいけることでしょう。好きな人と付き合うことも立派な人生経験です。存分に楽しめばいいと思います。

しかし、不純異性交遊ともなると話は別です。

明らかに風紀を乱す行為ですし、高校という場の本質を見失うことになりかねません。校風を重んじる高校では特に厳しい指導がなされると思います。

肌を重ねることはまあ人間の営みとしては大切なことでしょうが、でもそれって高校在学時にやる必要のあること?と考えてしまいます。

 

学ぶといっても、学生の領分というものもあります。

高校生は学生で、社会的地位は低く責任能力も乏しいとされています。これは主に金銭的な理由からでしょう。何かあった時は結局親が財布を開きますからね。

そして不純異性交遊が招くのは、妊娠。育児には高校生のバイト程度ではどうしようもないほどのお金や時間、労力などがかかります。

つまるところ、妊娠してしまえば、高校で「学ぶ」には厳しい状況に陥るわけです。妊娠を人生の学びと捉えるなんてのもありますが、ここでは高校での学びの話をしているので割愛。

もちろん、会社で働く身では、「産休」といった制度を利用する場面に出くわす・耳にすることもあるでしょう。

しかし、それは社会人として責任が取れることを前提としているように思います。

じゃあ高校生はどうでしょう。責任は、取れそうですか。

金銭的にも、労力的にも、親からの援助を受けずに出産・育児をするには、厳しい状況なのではないでしょうか。

 

そしてそのために休学といった行為を選ぶのは如何なものでしょう。

恐らく、中途半端な位置からリスタートするよりも、心機一転新たなスタートを切ることの方が楽でしょう。

あと、将来が保証されていないというか、自ら道を選ぶ以上、行動の責任を取るのは必然のことではないでしょうか。

それに、大人になってから学びに触れる人も沢山いるわけで、どうしてそういったことを考えないのかということにも疑問を抱いてしまいます。

 

最近は個人の、特に女性の権利を叫んでいる姿を目にする機会が多いのですが、自由にはそれ相応の対価が必要だと僕は考えています。

自由のみを求めてああだこうだ言うのは虫の良すぎる話かなと。

 

こんなところで、今日のお話はおしまいです。

きちんと推敲していないので、文章の流れが汚いことはご容赦ください。やる気ない中書き進めるのはこれが限界でした。

 

個人的には社会のせいにする癖のある人に読んでほしいなと思っています。

社会のせいにする人は、大体当人に非があることが多いですからね。

これもその事例の一つかなと思っています。

まあ甘えたい人にとっては頭の痛い内容なので、批判されること請け合いですが。

強く逞しく、自分の腕で生きていって欲しいものです。