そこはかとなき散文置き場

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「正義」を考えていく。第一回

※この文章は『これからの「正義」の話をしよう』を基に書いております。必然、内容に関するネタバレを含みます。

 

最近、やっとの事で『これからの「正義」の話をしよう』(著:マイケル・サンデル、訳:鬼澤忍)を読み始めた。

天邪鬼な自分は、ミーハーなのが嫌いで、そのくせ流行には敏感だったりする。だから、数年前話題になっていた時から、ずっと読みたいと思っていても、知人からオススメされても、なかなか手を付けずにいた。

 

そんなこんなで出版されて早5年。ひょんなことからやっと手をつける気になった。お笑いだって、旬が過ぎたほうが美味しいしね。

そんなこんなで読み始めたわけだが、しかしこの本、読むときになかなか集中力を要する。

普通の読書のように感情一つあれば事足りるかと思えばそうではない。どうやら考えを深めて読んだ方が楽しそう。

自分の中には二種類の読書があったりする。心を使うものと頭を使うものだ。詳しくは近々書こうかな。

まあそこでだ。読み進めていくうち、気になったものをここで取り上げて考察していこうという気になった。文章を書いていくうちに自分の中でも考えが深まるだろうし、あるいはコメントとかで他人の意見が聞けるかもしれない。さあ、思い立ったが吉日だ。

と言っても、全部を取り上げていてはかなわないので、特に自分の中で引っかかったものを議題としていこうと思う。これを取り扱って欲しいというのがあればコメント欄まで。

 

記念すべき第一回は「お金の正しい使い道と利益の原因」である。命名は自分だ。

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かいつまんで説明すると、

  1. アメリカで金融危機が……
  2. たちまち危ない資金運用をしていた企業は倒産危機に
  3. 大企業が倒産すると政府にも痛手なので、政府はそんな企業に支援金を出す
  4. するとその企業はそのお金で幹部にボーナスを支払う
  5. 自分たちの税金の使い道に、市民大激怒

といった具合。

まあぱっと見、企業に非があるように思える。自分もそう思った。

しかし、その後に書かれていた内容を読むと、一概に企業を批判できなくなった。

曰く、企業は今まで通りの働きをしていた。損失が出たのはそのやり方では利益が出ないような環境になっただけだと。そういうことらしい。

本文ではもっと細やかに書いてあるのだが、そこは読んでみて欲しい。

自分はなるほど、と思った。

利益が出ていた頃は市民はとやかく言わなかった。しかし、同じように仕事をしていただけなのにそれで企業は失敗した。それで、支援金をもらい、社員にボーナスを渡した。

企業は今までと同じことをしているだけなのに、支援金が絡んだ途端に非難の的となってしまったわけだ。

しかもボーナス自体は、利益があったときよりも減額されていた。

 

ここまで来て自分の意見は、企業を擁護する側に回った。

おそらく、「支援金で」というのがまずいのだろうが、件の企業のCEOは「優秀な人材にはそれ相応の報酬が必要だ」みたいなことを述べている。これは理にかなっているのではないか。

支援金が企業が持ち直すことを目的に渡されたものなのであれば、その使い道を間違っていると否定することは出来ないはずなのである。ボーナスを払ってくれないのを理由に他の企業にとられてしまっては、それこそ倒産してしまうかもしれない。

なにも、支援金を資本として運用することだけが立て直すことになるわけではないと思うのだ。

だからこそ、企業の取った行動は、決して非難されるべきものではないということを、これらを理解したときに初めて気づいたのである。

 

とまあ、偉そうに語ったけれど、企業が倒産しかけているのは、資金を運用していた社員の責任でもある。そんな社員にボーナスが支払われることがあって良いのかという倫理的、人道的な問題もあってしかるべきだとは思う。

 

うーん、なかなかに難しい問題だ。

両者の言い分も理解できるし、どちらも正しい。

だけど、支援金が支払われたのは何のため?ということを踏まえると、企業の取った行いは、矢張り非難されるものではないような……。

 

だから自分の答えは、企業が「正義」。

もちろん、市民側(この問題については政府も、ボーナスはよろしくないとしている)が「正義」とみなす人がいても当然だろう。

それにこの説明だけでは不十分な点が多い。

詳しく知りたい人、考えたい人は、是非調べてみて欲しい。

 

第一回はこんなところで。