そこはかとなき散文置き場

そこはかとなき散文置き場

書き連ねたいことを、書き連ねられるだけ。

感想「恋する寄生虫」(著:三秋縋)

※この文章はネタバレを含みます。予めご了承ください。

 

藤田紘一郎氏の著書にも同名のものがあるが、今回は三秋縋氏著の小説についてああだこうだ書き連ねていこうかと。

f:id:Diplozoon:20161016112117j:plain

 

まず、藤田氏の「恋する寄生虫」について触れておこう。

藤田氏は日本でも著名な寄生虫博士。

そんな寄生虫博士が寄生虫の恋(生殖)について書いたものとなっている。

面白いのが、話は寄生虫にとどまらず、人間にまで広がっているということ。

語り口調も個人的にツボで、下ネタに免疫があればこちらもオススメ。

f:id:Diplozoon:20161016112012j:plain

「恋する寄生虫」(著:藤田紘一郎

 

さて、そんな本とタイトルを被らせた件の小説。

まあ、そこに著者の意図を感じずにはいられないわな。

確かに内容としては、寄生虫に感染している二人の恋物語なわけだが、自分はそれだけではないような気がする。

ここからは妄想なんだけど、二人は社会に上手く順応、言い換えれば寄生できないでいたと捉えてみたわけ。社会で働くとかって、社会の仕組みに寄生してると言えるかなっていう考えね。

それで、お互いに関係が深まるごとに社会に順応、寄生できていく。

これが実は寄生虫によってもたらされていたと。

寄生虫に寄生されながら、寄生させられていく。

言葉遊びのようだけど、寄生虫自体は生殖を目的に二人に寄生しているわけだから、二人を惹かせるのは、恋しているといってもいいよね。

で、そんな操られている二人も、お互いだったり、社会に寄生している“寄生虫”だったり?と考察してみた。

 

内容については、「不在」ってのが一つのキーワードになっているのかな。

確か最初の方だったか、アレルギーについて触れられている。

アレルギーは、たとえば花粉症とかだと、花粉に対する免疫の細胞があって、それから免疫を抑制する細胞があるんだけど、それが足りなくて生じるものらしい。

免疫って悪いものをやっつけてくれるわけだけど、それがはたらきすぎると、体中で色んな細胞・ウイルスをやっつけようとして、体がボロボロになるわけだね(くしゃみやせきが止まらなくなったり)。

だから、こいつはあんまり悪さしないから見逃してあげようっていう判断をするのが必要になってくるわけだ。

で、その免疫を抑制する細胞がどうして少なくなっちゃうかというと、原因の一つに「現代があまりにも清潔すぎるから」というのがあると。

清潔だと見逃そうにも、見逃すべき相手がいない。そうなると困ったもので、見逃す役の免疫抑制細胞が「オラもういらねよな~」って少なくなるんだと。

そこでアレルギーや自己免疫疾患が生じてきてしまう。

要するに悪いやつの「不在」で起こってしまう。

この「アレルギー」というのは伏線というか、大きな役を担っているのだけどそれがまあ「不在」。

そして、その「不在」のせいで二人の関係は大きく変わっちゃうんだな。未読の人のことを考えてそこら辺は言及しないけれど。

読み進めて感じてほしい。

 

三秋縋氏は男女二人の関係を描く作品が多いんだけど、というか出版されている著書は全部男女二人がメインかな。「電話」は個人的には二人には絞りたくない話……っていうのは置いといて。

この男女の関係の清さというか、潔さが結構好きだったりする。綺麗だし。

この「恋する寄生虫」も年の差を感じさせないくらい瑞々しい関係だった。

三人称視点の文体は少し苦手なんだけど、これはすらすら読めた。

読んだあとに余韻とか想像を残していってくれるところもグッド。切ない感じが際立つ。

 

なんか中途半端な締りだけど、少しでも興味を持ったなら、三秋縋の世界観に足を突っ込んでみると良い。