そこはかとなき散文置き場

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書き連ねたいことを、書き連ねられるだけ。

憲法改正は悪手なのか

憲法記念日を機に少し憲法改正について考えてみたので、ここで持論を述べておこう。

 

憲法とは、大まかに言ってしまえば法律の元締めみたいな存在だ。憲法を軸に他の法律や条例等は決められる、というようになっている。

日本の憲法はご存じの方も多いだろうが、戦後すぐ、GHQの指導下でつくられた。

まあ一部の人にとってはこの時点で外国の介入入っとるやんけ!純日本ちゃう!ってなるところだろう。松本試案も拒否されたことだしね。

そこには大きな大きな政治的な思惑なんかが絡み合ってるので一概には言えない。当時の日本としてはアメリカ様に逆らいでもしたら……ってな状況だったんだから仕方がない。天皇制が廃止されずに残っただけでも儲けものとしておきたい。

で、時は流れに流れ現代だ。

これまでこの憲法は一度たりとも改正されていない。

これの何が問題なのかというと、戦後すぐの思想が憲法には含まれていて、現代の思想にはそぐわないという点だと思う。もちろんアメリカの思想という意味だけでなく、戦後すぐの日本の思想なんかも今の時代では認められないものが多い。

そんな思想のもとつくられた憲法は、現代では『解釈』という言葉で無理矢理に引き伸ばされ法律に生かされている。幸福追求権などは新しい人権を主張する際にはその使い勝手の良さからほとんどの主張で用いられているように思う。

端的にいうと、もう引き伸ばさないと使えないくらいガタがきているのだ、憲法には。何も憲法改正は9条だけの問題ではないのだ。他にも私学助成金なんかも憲法的にはグレー、かなり黒寄りのグレーであることだし。

これらは性急に改正を求めるものではないかもしれないが、やはり9条についてはそうはいかない。

9条は北朝鮮を始めとする、日本に敵対意識をもつ国からの攻撃を守ってくれるものではない。あくまで、「私らは武力持ちませんからね」ってだけなのだ。

このせいで自衛隊は身動きが取れない場面も多々ある。国民や海外の人々を守るためでもだ(現状、言葉遊びで容認させている場面すらある)。

諸外国は戦後憲法を改正している。時代の流れに沿った政策のために。日本はどうだ。世界を見て行動できているか。

武力を持たずに平和的に解決していくことは、絵空事と言いたくなるくらい今の情勢では難しいものがある。なにせ色々な思想のぶつかり合いがあるから、一筋縄では動かないのが世界だし。

もっと日本も良い方向に賢く動けていければなあと常々思う。

では今回はこんなところで。

久々に

久々に記事を書いてみる。

やれ、習慣づけようと頑張ってみたものの三日坊主だ。

で久々に覗いてみれば過去の僕が頑張った痕跡があったのでまた書くことにしようと思う。

毎日は厳しいかもしれないのだけれど、備忘録的な意味合いも込めてひっそりとやっていくつもりだ。

またひっそり三日坊主になることが懸念されるだろうが、そこは忖度を働かせて気にしないでほしい。忖度、使っていきたい日本語だ。

ではそういうことで。

「正義」を考えていく。第一回

※この文章は『これからの「正義」の話をしよう』を基に書いております。必然、内容に関するネタバレを含みます。

 

最近、やっとの事で『これからの「正義」の話をしよう』(著:マイケル・サンデル、訳:鬼澤忍)を読み始めた。

天邪鬼な自分は、ミーハーなのが嫌いで、そのくせ流行には敏感だったりする。だから、数年前話題になっていた時から、ずっと読みたいと思っていても、知人からオススメされても、なかなか手を付けずにいた。

 

そんなこんなで出版されて早5年。ひょんなことからやっと手をつける気になった。お笑いだって、旬が過ぎたほうが美味しいしね。

そんなこんなで読み始めたわけだが、しかしこの本、読むときになかなか集中力を要する。

普通の読書のように感情一つあれば事足りるかと思えばそうではない。どうやら考えを深めて読んだ方が楽しそう。

自分の中には二種類の読書があったりする。心を使うものと頭を使うものだ。詳しくは近々書こうかな。

まあそこでだ。読み進めていくうち、気になったものをここで取り上げて考察していこうという気になった。文章を書いていくうちに自分の中でも考えが深まるだろうし、あるいはコメントとかで他人の意見が聞けるかもしれない。さあ、思い立ったが吉日だ。

と言っても、全部を取り上げていてはかなわないので、特に自分の中で引っかかったものを議題としていこうと思う。これを取り扱って欲しいというのがあればコメント欄まで。

 

記念すべき第一回は「お金の正しい使い道と利益の原因」である。命名は自分だ。

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かいつまんで説明すると、

  1. アメリカで金融危機が……
  2. たちまち危ない資金運用をしていた企業は倒産危機に
  3. 大企業が倒産すると政府にも痛手なので、政府はそんな企業に支援金を出す
  4. するとその企業はそのお金で幹部にボーナスを支払う
  5. 自分たちの税金の使い道に、市民大激怒

といった具合。

まあぱっと見、企業に非があるように思える。自分もそう思った。

しかし、その後に書かれていた内容を読むと、一概に企業を批判できなくなった。

曰く、企業は今まで通りの働きをしていた。損失が出たのはそのやり方では利益が出ないような環境になっただけだと。そういうことらしい。

本文ではもっと細やかに書いてあるのだが、そこは読んでみて欲しい。

自分はなるほど、と思った。

利益が出ていた頃は市民はとやかく言わなかった。しかし、同じように仕事をしていただけなのにそれで企業は失敗した。それで、支援金をもらい、社員にボーナスを渡した。

企業は今までと同じことをしているだけなのに、支援金が絡んだ途端に非難の的となってしまったわけだ。

しかもボーナス自体は、利益があったときよりも減額されていた。

 

ここまで来て自分の意見は、企業を擁護する側に回った。

おそらく、「支援金で」というのがまずいのだろうが、件の企業のCEOは「優秀な人材にはそれ相応の報酬が必要だ」みたいなことを述べている。これは理にかなっているのではないか。

支援金が企業が持ち直すことを目的に渡されたものなのであれば、その使い道を間違っていると否定することは出来ないはずなのである。ボーナスを払ってくれないのを理由に他の企業にとられてしまっては、それこそ倒産してしまうかもしれない。

なにも、支援金を資本として運用することだけが立て直すことになるわけではないと思うのだ。

だからこそ、企業の取った行動は、決して非難されるべきものではないということを、これらを理解したときに初めて気づいたのである。

 

とまあ、偉そうに語ったけれど、企業が倒産しかけているのは、資金を運用していた社員の責任でもある。そんな社員にボーナスが支払われることがあって良いのかという倫理的、人道的な問題もあってしかるべきだとは思う。

 

うーん、なかなかに難しい問題だ。

両者の言い分も理解できるし、どちらも正しい。

だけど、支援金が支払われたのは何のため?ということを踏まえると、企業の取った行いは、矢張り非難されるものではないような……。

 

だから自分の答えは、企業が「正義」。

もちろん、市民側(この問題については政府も、ボーナスはよろしくないとしている)が「正義」とみなす人がいても当然だろう。

それにこの説明だけでは不十分な点が多い。

詳しく知りたい人、考えたい人は、是非調べてみて欲しい。

 

第一回はこんなところで。

 

時代遅れな自作PCを組んでみて[C2Dの可能性]

すごい今までと毛色違うけどまあ良いよね、許せ。

 

ということで、タイトルにもある通り、時代遅れなC2Dを使ったPCを組んでみたわけだが。

まずは構成。

  • CPU・・・Core 2 Duo E8600
  • M/B ・・・MS-7519(LGA775のやつ)
  • RAM・・・DDR2 2GB*2
  • CPUクーラー・・・良くわからない。爆音。見立てでは鯖用?
  • 電源・・・ドスパラBTOに使われてるやつ。確か550W。
  • GPU・・・GeForce GTX 750Ti
  • ケース・・・Prime製。詳細不明。
  • HDD・・・320GB。WD製。

とまあ、こんな感じ。

費用はトータル2万円ほど(モニター等含め)。

まさにお金のない中組みましたよーっていう構成ね。

ケースやマザボ、CPUなどはジャンクPCを買ってそれを流用してる。

実質新しく買ったのは、クーラーとHDD、GPUだけだったりする。

 

クーラーも付いてたんだけど、80~90℃に張り付くぐらい冷えなかったから買い替えたら、今度は冷えるけど爆音クーラーで、もういいやとそのまま……。

 

HDDは付属してなかったから間に合わせで買った。そろそろ容量溜まってきたし、増設時かな。

 

GPUはあまり高性能でも宝の持ち腐れ(C2Dな以上)だし、まあ中堅グラのゲームとか動画が観れればと思い購入。

750Tiは4K動画も再生できるんだけど、C2Dだとちょっとキツい。カクつきが一定間隔で起こる。

 

組んでみて、C2Dまだやれるじゃんというところもある反面、4Kや高グラフィックを要求するゲームでは処理速度に難ありかな、といった具合。

RAMも噛んできてるんだろうけど、DDR2ではコスパ的にこれが精一杯。

 

実は初めての自作ということもあり(初めてでジャンクパーツに手を出す危険性は置いといて)、あんまりコストをかけずに組んでみたけど、思いの外動いてくれてるから自分的には及第点。

ただこれから先も使い続けていくには少し厳しいだろう。

CPUを買い換えるとなると、M/BやRAMも買い換えなきゃだし、次号機はほとんど流用なしで組むことになりそう。

個人的にはHaswellとかで組んでみたいなーと。

 

まあだいぶ先の話になるかもしれないけれど、組んだらまた色々書いていこうかな。何か使い心地など質問あればコメント欄まで。

 

では今日はこれくらいで。

感想「恋する寄生虫」(著:三秋縋)

※この文章はネタバレを含みます。予めご了承ください。

 

藤田紘一郎氏の著書にも同名のものがあるが、今回は三秋縋氏著の小説についてああだこうだ書き連ねていこうかと。

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まず、藤田氏の「恋する寄生虫」について触れておこう。

藤田氏は日本でも著名な寄生虫博士。

そんな寄生虫博士が寄生虫の恋(生殖)について書いたものとなっている。

面白いのが、話は寄生虫にとどまらず、人間にまで広がっているということ。

語り口調も個人的にツボで、下ネタに免疫があればこちらもオススメ。

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「恋する寄生虫」(著:藤田紘一郎

 

さて、そんな本とタイトルを被らせた件の小説。

まあ、そこに著者の意図を感じずにはいられないわな。

確かに内容としては、寄生虫に感染している二人の恋物語なわけだが、自分はそれだけではないような気がする。

ここからは妄想なんだけど、二人は社会に上手く順応、言い換えれば寄生できないでいたと捉えてみたわけ。社会で働くとかって、社会の仕組みに寄生してると言えるかなっていう考えね。

それで、お互いに関係が深まるごとに社会に順応、寄生できていく。

これが実は寄生虫によってもたらされていたと。

寄生虫に寄生されながら、寄生させられていく。

言葉遊びのようだけど、寄生虫自体は生殖を目的に二人に寄生しているわけだから、二人を惹かせるのは、恋しているといってもいいよね。

で、そんな操られている二人も、お互いだったり、社会に寄生している“寄生虫”だったり?と考察してみた。

 

内容については、「不在」ってのが一つのキーワードになっているのかな。

確か最初の方だったか、アレルギーについて触れられている。

アレルギーは、たとえば花粉症とかだと、花粉に対する免疫の細胞があって、それから免疫を抑制する細胞があるんだけど、それが足りなくて生じるものらしい。

免疫って悪いものをやっつけてくれるわけだけど、それがはたらきすぎると、体中で色んな細胞・ウイルスをやっつけようとして、体がボロボロになるわけだね(くしゃみやせきが止まらなくなったり)。

だから、こいつはあんまり悪さしないから見逃してあげようっていう判断をするのが必要になってくるわけだ。

で、その免疫を抑制する細胞がどうして少なくなっちゃうかというと、原因の一つに「現代があまりにも清潔すぎるから」というのがあると。

清潔だと見逃そうにも、見逃すべき相手がいない。そうなると困ったもので、見逃す役の免疫抑制細胞が「オラもういらねよな~」って少なくなるんだと。

そこでアレルギーや自己免疫疾患が生じてきてしまう。

要するに悪いやつの「不在」で起こってしまう。

この「アレルギー」というのは伏線というか、大きな役を担っているのだけどそれがまあ「不在」。

そして、その「不在」のせいで二人の関係は大きく変わっちゃうんだな。未読の人のことを考えてそこら辺は言及しないけれど。

読み進めて感じてほしい。

 

三秋縋氏は男女二人の関係を描く作品が多いんだけど、というか出版されている著書は全部男女二人がメインかな。「電話」は個人的には二人には絞りたくない話……っていうのは置いといて。

この男女の関係の清さというか、潔さが結構好きだったりする。綺麗だし。

この「恋する寄生虫」も年の差を感じさせないくらい瑞々しい関係だった。

三人称視点の文体は少し苦手なんだけど、これはすらすら読めた。

読んだあとに余韻とか想像を残していってくれるところもグッド。切ない感じが際立つ。

 

なんか中途半端な締りだけど、少しでも興味を持ったなら、三秋縋の世界観に足を突っ込んでみると良い。

 

朝日新聞減収から色々。

こんな記事があった。

朝日新聞 部数減で500億減収」

なにも、世の新聞離れだけが原因というわけではなかろう。

朝日と言われ思い返すのは、虚偽記事や偏向記事。

自分は一応保守的な立ち位置にいるので、朝日のような反日新聞は個人的に嫌いだし、また、社会的に見ても、一方の意見に偏りすぎている記事を書くというのは、新聞としてあるまじき行為だろう。

日本(政府)の正しくないところを指摘して、改善を求めるというのならまだ話はわかる。

だけどもこの朝日新聞というのは、虚偽や編集者の独断・偏見で記事を掲載してしまうわけだ。その結果、度重なる不祥事につながっている。

まあ、社会的信用を失っても文句は言えないわな。

 

朝日の反日記事の筆頭といえば、朝鮮慰安婦問題だろうか。

虚偽の調書を尤もらしく掲載し、激しい政府批判。

しかし、蓋を開けてみれば誤報。

それでいて大して謝意を露わにしないのだから白々しい(下記リンクより誤報について詳しい記事)。

www.j-cast.com

 

NHKもそうだが、こういう朝鮮や中国に傾倒した革新派組織というのは、下の者の教育というか、統率が取れていないのが多い気がする。

だからこそ、社員の不祥事が毎年相次ぎ、イメージダウンへ向かっているのだろう。

不正を平気ではたらき、自分で自分の首を絞める。

こんなんだからパヨクパヨクとバカにされてしまうのだ。

 

あとは、細かいことだけど、減収を社員に知らせる文書が社内で配られたようで、それがニュースサイトに載っていたので、その文面に目を通してみた。

するとまあ、減収ですよーってな内容の下に、「社員一人当たり……」という記述があるというではないか。

さも、社員の職務怠慢が原因かのように伝える始末。

下もそうだが、上の人間がどうにかならなければ、朝日新聞に夜明けなんてのは、「朝日」なんてのは昇らない気がする。

 

なんて、これまた偏っているみたいなブログだけど、まあ事実だしね、受け止めていこう。

これを読んでくれた方は、ぜひ興味を持って色々調べてみて欲しい。自分の言うことが全てなわけではないしね。まあ、きっかけになれば幸いである。

「君の名は。」リピートしてみての考察のようなもの

※この記事はネタバレ要素を含みます。予めご了承ください。

 

最初、なんだか気に食わなかった。

目につくコミカルな要素、そして再会する、否、してしまうラストシーン。

新海作品ではここまでコミカルな雰囲気は観たことがなかったし、再会してしまってはあの独特の、言い表せない余韻が薄れてしまう。

「新海作品」として観た自分は、今までの作品を嘲るかのように今までにない要素に満ちたこの作品を素直に楽しめないでいた。

「秒速」、「言の葉」を何度も観てきて、頭のなかには「新海=淡くてしんみり」みたいなのが根強くいたもんだから、受け付けなかったのだろう。だからこそ、こんなはずがないと思って劇中に出てくる単語をもとにいろいろ調べてみた。

 

その後、「ティアマト」「産霊」など、作中に出てくる言葉の意味を知っては、なるほど新海作品だという思いが浮かばずにはいられなかった。

 

この作品、一見すると綺麗な男女の恋物語というように見える。数年前に会っていた瀧くんと三葉が彗星に翻弄されながらも再会する、上辺を掬えばこんな感じか。しかし、タイムトラベルする恋愛ものなんてのは既出のジャンル。他に、これだけヒットした理由があるはず。

そう、新海監督がここで終わらせるわけがなかった。

 

この作品に存分の新海らしさを感じようとするなら、予備知識が必要だったように思える。

キーワードとなるのは「二つ」と「一つ」。

この作品はいたるところにそれを暗示するキーワード、キーアイテムが散りばめられていた。

まず入れ替わる二人。組紐にティアマト。おばあちゃんの話にあった産霊(結び)。挙げるとキリがないくらいたくさんのものがある。テッシーとあのおさげの子だって疑わずにはいられない(さすがに深読みし過ぎか)。

また、災害で死者が出た時間軸、助かった時間軸などもその一つだったりするのかも。

これらは調べてみると個々にニュアンスの違う意味があり、それらもなかなか面白い。敢えてここでは詳しく書かないが、ともかく時間を主軸として二つと一つが入り乱れる話だと調べてみて思った。

考えてみれば高校生の瀧くんを現在と捉えると、その意識は三年前に飛んでいき、その三年前には瀧くんは三葉を知らず、という二人の関係をややこしくする時間軸を辿っているわけで。

 

なんというか、裏を辿れば辿るほど嵌っていくというか……。つくづく観る人、観た人を飽きさせない作品だ。

 

ともかく、粋なことするな、新海、と感慨にふけった今日この頃だった。

 

・・・支離滅裂になってしまったのでこのくらいで。

余談だが、おばあちゃんのいう「あの世」のシーンは日本神話的要素にも感じられ、とても良かった。表現が綺麗だった、うん。

あと登場人物は勅使河原が一番好き。異論は認めない。